秒針の動く音が、やけに耳に響く。
 私は、ソファーに座り足元に視線を向けている。
 絶対に綺羅を見たくなかった。
 しかし、そんな私をあざ笑うかのように、綺羅は隣へ座り腕を絡ませて耳元で呟く。
「本当に、馬鹿ね。私を見なくても、ここに私がいることには変わりがないのよ」
「別に、私がどこを見ていようとお前には関係ないだろ」
「だから、あるのよ。さっきも言ったでしょ、私は貴方のことが好きなの。できれば私を見て欲しい」
「私は、お前の気持ちには応えるつもりは無い」
「京子さんが好きだから? 京子さんの子供が大切だから?」
「京子のことが好きなことと、お前を好きになれないことは別問題だ」
「でも、未だに京子さんが貴方の心にいるのは事実だわ。確かに京子さんは魅力的な女性だった。其れは認める。でも、京子さんには思い人がいたじゃない。そして、その人との子供もね」
「其れがどうした」
「だから、私は諦めないの。兄さんだって、他に思い人がいる京子さんを諦め無かったんだものね。それどころか、自分のものにする為に記憶を弄った。正々堂々と真っ向勝負を仕掛けるだけ、私の方がましだと思わない?」
「だから、京子のことは本当に悪かったと思っている。償えるものならば、どんなことをしても償いだい。私は・・・」
「じゃあ、記憶を全て元に戻しなさい。罪を償う為には、真実を明かすことが必要よ。そうして初めて罪を償える。現在京子さんの死に関する記憶を持っているのは、貴方と私だけ。このままではいけないわ」
「忘れていた方がいい記憶もあるだろ」
「其れを貴方が決めるの? 貴方が決めていいことなの? 貴方がやっていることは、いわば殺人後の証拠隠滅よ。いえ、殺人自体を抹消しようとしているのよ」
「・・・でも、螢を壊したくない・・・」
「さっきも言ったわよね、貴方は同じ過ちを犯そうとしているのよ」
「お前の言っていることがわからない」
「これもさっき言ったわよね。好きな人の記憶弄りは失敗するって」
「だから、何故そう言いきれる。もっと力があれば、成功するかもしれないだろ?」
「本当に馬鹿ね、兄さん。いくら力があっても失敗するのよ」
「なぜだ・・・」
「記憶があるからよ」
「どういう意味だ?」
「そのままよ。京子さんの例でいくと、兄さんには京子さんと過ごした真実の記憶があるせいってことね。記憶を弄ると言うことは、その真実の記憶も弄らなければならない。貴方の大切な京子さんと過ごした本当の記憶を、改竄しなければならない。私達の能力は、そこに綻びが生じるの。その人に対する思いが強いほど、綻びは大きくなる。私達は、無意識のうちに真実の記憶を残したいと思うみたいね。兄さんが失敗したのはそこよ。いくら力が強くっても、京子さんとの真実の記憶と大切にしたいと思う気持ちがある限り完璧な記憶弄りはできない」
「・・・・」
「それだけじゃないわ」
 綺羅は、私に絡めていた腕を外して立ち上がった。
 私は綺羅の顔を見上げる。
「まだあるのか・・・」
「私達は自分の記憶を弄れない。つまり、自分は真実を知っているってこと。兄さん、貴方は京子さんの記憶と弄った。京子さんに関する人の記憶も弄った。でも、貴方は知っていた。記憶と弄ったことも、京子さんが本当に好きな人の名も。記憶を弄られた私達はいいわよ、其れがその時の私たちにとっての真実だから。でも貴方は、貴方にとっての真実は違う。好きな人であればあるほど、大切な人であればあるほど、知っていて知らない振りをすることは辛いんじゃなくって? そこにも、綻びが生じる。いえ、綻びを生じさせると言う方が正しいわね」
「もういい・・・」
「螢くんの記憶が戻るのも時間の問題よ。だって、貴方は京子さんを知っている。全てを知っている。そして、貴方と京子さん、螢くんと過ごした真実の記憶という綻びから・・・・」
「止めてくれっ」
「同じ過ちはしないで」
「でも、螢に真実告げて、螢も狂って死んでしまったらどうするんだ?」
「そうなったら、それまでよ。そうしないようにするのが貴方の償いでしょ」
「螢を守りきる自信が無い・・・」
「どんなことしても償うんでしょ。償いなさい」
「・・・・私は、偽りの真実でいい・・・・」
「私は嫌なの。兄さんがなんと言おうと螢くんに真実を告げるわ」
「させないと言ったら」
「言うのは勝手よ、好きなだけ言って頂戴。でも、一つ教えてあげる。私は同じ過ちを犯さない。兄さんに記憶を消された時の対処法は万全よ」
「お前は何がしたい・・・」
「だから言っているでしょ。貴方に同じ過ちを犯させないこと」
「そうすることで、結局螢の死に結びついても?」
「だって、もし死という結論にいたっても、私がいる時といない時とでは大違いだもの。私がいれば、貴方に後追い自殺はさせない」
「わからないぞ、私が本気で死のうと思えばお前は止められない」
「そうね。そうかもしれないわね。でも、精一杯やった結果なら享受するわ。ということで、兄さん。螢くんが帰ってくるまでの間にせいぜい自分の行為を正当化する言い訳でも考えてくださいな。螢を守るためにね」
「・・・・」
 私に良く似た顔が微笑む。
 天使の微笑みと賞されるそれも、今の私には悪魔の微笑みにしか見えない。
 ガンガンと耳鳴りや頭痛がするこの頭で何を考えろと言うのだ。
 私はなす術も無く、人形のように焦点の合わぬ瞳のままソファーに寄りかかった。
 夢なら覚めてくれ。
 覚めたら、罪を犯す前の日であってくれ。
 そうしたら、私は・・・・・・・。

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