いざ、覚悟してしまうとパニック状態だった脳も落ち着いてきた。
 綺羅のいれたコーヒーを飲みながら、二人で向かい合って何時間か過ごした。その間、二人の間に会話らしい会話は存在しなかった。ただ、綺羅が付けたラジオの音だけが静かな空間に響いていた。
「今、何時だ?」
「四時半よ」
「そうか・・」
 私は、自分の足元へ視線を落とした。
「その顔どうにかならない?」
「顔についての文句なら、生んだ親に言ってくれ」
「そういう意味じゃないわよ。その暗い表情をどうにかしてくれないって言っているの。螢くんが帰ってくる時いつもそんな顔で迎えているの?」
「違う。違うに決まっているだろ」
「そう、だったらいつも通りの表情にしてよ。貴方がそういう顔をしていると、螢くん心配するわよ」
「無理だ」
「仕方の無い人ね。兄さんの顔が今の状態で固まってしまわない内に、帰ってきてくれるといいけど」
 綺羅は窓の外に視線を移した。
 ラジオからは、今の私の気持ちに拍車をかけるような悲しいバラードが流れ出していた。
 もう二度と、大切な人を失いたくは無い。
 其の為にはもう一度・・・・。
「同じ過ちはしないでよ、兄さん」
 私の心の中を見抜いたような一言。
 何時間かぶりに絡んだ綺羅の視線は言葉異常に厳しい。もしかすると、地獄で審判を下す閻魔大王の視線はこんな感じかもしれない。
「ああ、しない。いや、できないと言う方が正しいな。お前の前でそんなことはできない。できっこない」
「よくわかっているじゃない。さて、真打のご登場ね」
「!」
 勝手口の扉が静かに開いた。
「ただいま、世良」
 甘酸っぱい感情が胸に広がる。
 今朝聞いたはずの、声がとても懐かしく感じるのはなぜだろう・・・。
「おかえり、螢」
「お帰りなさい」
「・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「はあ・・・。あのね、見詰め合ったって何も進展しないわよ。わかる?」
「・・・・」
「仕方ないわね。螢くん、貴方は何が知りたいの。私が教えてあげるわ」
 綺羅は、ラジオを消した。
「今朝の言葉について知りたい」
「今朝の言葉? ああ、そのままの意味よ。貴方は、京子さんの子供なの。他には?」
「なぜ、貴方が其の事実を知っているんですか」
「私達は京子さんを知っているからよ。そして、子供の頃の貴方も」
「嘘だろ。俺は、生まれてすぐに捨てられた」
「あら、違うわよ。貴方は」
「止めろ!!! 螢は、生まれてすぐ親に捨てられたんだ!!」
「兄さんっ!」

「世良・・・」
「螢、お前の記憶に偽りはない。自分の記憶を信じろ」
「俺の記憶・・・・」
「そうだ。お前の記憶は正しいんだ」
「・・・・・・・。世良、確かあんたは記憶を弄れるんだったよな」
「・・・・」
「墓穴を掘るってこのことね。兄さん、そんなに必死になって否定したら、嘘だってバレバレよ。それに、話すって決めたんでしょ」
「・・・・・・・」
「世良、もし俺に隠してあることがあるのなら教えてくれ」
「隠してなんか・・・」
「世良。俺の母親を知っているのか?」
「・・・・・・・」
「兄さんが言わないのなら、私が記憶を戻すわよ。その方が話す手間が省けて楽だから。それに、螢くんも納得するだろうしね」
「・・・それだけは止めてくれ」
「じゃあ、自分で話しなさい」
「・・・・・」
「世良。もし、お前が俺に何かを隠していたのなら、その理由と事実をお前から聞きたい」
「螢・・・」
「・・・・」
「お前に説明して欲しい」
 私を真っ直ぐと見つめる螢の双眸から逃げるように、私は視線を再び足元に落とした。
「・・・・・。私は、君の母親を知っている。そして、君の母親を愛していたんだ」
 頭の中で駆け巡り始めた京子の姿。
 愛しい、愛しいと思う自分の心。
 ああ、やはり愛しているという言葉しか浮かばない。
「私は、京子を愛している。愛しているから、記憶を弄ってしまった。離れたくないから、側にいて欲しいから、私のことを愛して欲しかったから・・・・・・」
「世良、どういう風に記憶を弄ったの?」
 螢は、私を落ち着かせようとしてあえて優しく丁寧に話した。其の話し方は京子を彷彿させ、私は思わず重い頭を上げた。
 瞳に映った螢の顔は、まずは京子の顔と重なった。しばらく見つめていると京子との相違点が目に付くようになり、一度だけしか見たことが無い螢の父親の顔と重なった。
 胸が掻き乱される。
 京子への想いと螢の父親への憎悪。
 あの時の私は、そう、丁度こんな気分だった。
 あの時も京子の腕の中にいた螢を見つめていた。そして、BGMは京子の口から語られる螢の父親への一途な想いだった。

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