二章(絡みつく呪縛)

 数日後
 薫が兄上からの命令で何かを調査しているので、私は暇だった。ぼぉっと空を見上げて、雲の流れを楽しんでいた。
「あら、暇そうね」
 私の視界にぬっと人影が現れる。
「春野殿」
 意外な人物に驚いて、間抜けな顔になる。
 春野殿は、そんな私を見てクスクス笑う。なんかムカツク。
「クスクス。暇かなって思ったから誘いに来てあげたの。一緒に郁殿の所に行かない? 一人じゃ心細くって、ね」
 誘うような目で私の方を見る。男なら一発で落とせそうだな(兄上は除く)。
「そんな色っぽい目で見ても、私は女だからフラフラと付いていったりはせぬぞ」
「やーねー、色っぽい目は生まれつきよ。でも、貴方は興味ないの?」
 春野殿は、勝利を確信した微笑みで、私に尋ねてくる。
 この人は知っている。私がどれだけ兄上を慕っているかを・・。そして、兄上が唯一心を許せる人、郁殿に会ってみたいと思っていることも、なぜか知っている。
「興味はある。でも、兄上に内緒で城に行くのは嫌じゃ」
「郁殿には会いたくないの? 貴方の最愛なる兄上の愛を独り占めしている人。そして、殿の素顔を知っている人に・・」
 悪魔の誘いとはこういう事をいうのだろうか?
「今回を逃すと、しばらく会えないわよ。殿が郁殿をおいて一人でどこか行くなんて、稀でしょう?」
 ぐらっと私の心がゆらぐ。
 心の乱れが表に表れたのか、春野殿はフッと笑う。
 もう、ここは春野殿に付いて行くしかないような気がする。別に、兄上から城に来るなと言われたわけでもない。これが春野殿の策でも、虎穴に入らずんば虎子を得ずともいう。
 屁理屈のよな気もしないではないが、とりあえず自分を納得させる。
 キッっと春野殿を見上げて、気合をいれる。『迷いは、思わぬ事態を招く』と、兄上は言っていた。だから、私はもう迷わない。
「わかった、一緒に行こう」
 大満足の春野殿の顔が気に食わないが、ここは我慢するところだ。
 春野殿は、どこからともなく扇を出し、それ広げる。それは、誰かに対する合図だったのだろう。数分後、馬が2頭私の家前に表れた。馬の鳴き声が聞こえて急いで表に出たが、馬を連れて来た人の姿は影さえもない。
「忍者か」
「変な勘ぐりはやめてくださいな。ただの、恥ずかしがりやですわ。さあ、行きましょうか、双葉姫」
「この格好では、馬に乗れないではないか」
 あらかじめこうなる事を予測していた春野殿は、今日は袴姿だった。
「あら、裾が乱れていた方が、色気が出ていいのでは?」
 クスクスッと私を馬鹿にしたように笑う。癇に障る奴。
「着替えてきますっっ!」
「あら残念、郁殿を喜ばそうと思ったのに。でも、貴方じゃあ喜ばないかな」
 振り向いて怒鳴りたかったが、ここで怒鳴っては相手を喜ばせるだけ。私は着替えるために奥の部屋にさがった。


「ここが郁殿のお部屋よ」
 一人で歩くと迷子になりそうな広い屋敷をぐるぐるを歩き回った末に行き着いたのは、日の当たらない隅の部屋だった。
 春野殿はサッと身だしなみを整える。それを見て私もぼろい着物を整える。
 そして、いざ障子を開こうと手をかけた時。
「誰です、人の部屋の前で突っ立っているのは」
 兄上??
「あら、郁殿。外出していらしたのね」
 振り向いた瞬間に目に入って来たのは、絵とそっくりな美人。
「こちらは?」
 兄上と同じ心地よい声と優しげな笑顔を向けられる。
「あっあの、殿の妹の双葉と申します」
「殿に雰囲気が似ていると思ったのですが、妹君でしたか。私は、殿の影武者をやらせていただいております。名は、郁と申します」
 そう言って、郁殿が私に向かって恭しく礼をする。
 それに対して私も頭を下げようをするが、春野殿の手がすっと出て来てそれを遮る。
「さあ、他人行儀の自己紹介はここまでにして、せっかくですからお酒でも飲みましょう」
 春野殿はニッコリと微笑み、私達の背中を押して郁殿の部屋から遠ざかろうとした。しかし、郁殿はするりと春野殿の手を潜り抜ける。
「春野殿、私の部屋の前ですから、是非私の部屋でお酒を。さあ、お入りになって下さい」
 今度は郁殿が私の背中を押す。
「郁殿、私は今日の為に美味しいお酒を用意しましたの。是非是非私のお部屋で」
 春野殿は微笑みながら、私の袖を引っ張る。
 なんかこの二人、相性最悪だよね・・・。
「春野殿、そのお酒は殿と御飲みになるべきでは?」
 春野殿は、ぐっと詰まった。返す言葉が見つからないようだ。その代わりに、ぎろっと睨みあげる。郁殿もそれに気がついて、見下すような視線を送る。二人とも怖い。
「そうね、殿と二人っきりで飲むことにするわ。郁殿、野暮な邪魔はしないでね」
「殿がそう言えば、しませんよ」
 お互いにニッコリと艶やかな微笑みを交しているが、心の底では・・・。
 しかたなく、春野殿は郁殿の部屋へと入る。そして私もその後に続いた。
 部屋の中は、閑散としていた。ただ、奥の板の間に飾ってある掛け軸は、とても高価そうだ。
「あの掛け軸は・・・」
「ああ、これですか。殿からの贈り物です。でも、この部屋には不釣り合いですよね」
 そう言って、郁殿は幸せそうに微笑む。
 それを見た春野殿の顔が、不機嫌そうに歪む。私の心にも、ふっと嫉妬の炎がうずく。
 そして、脳裏に薫の台詞がよぎる。『貴方の最大のライバルの』向こうはそう思っていないだろうけどね。
「はい、お酒です。どうぞ」
 郁殿が私と春野殿にお酒を注ぐ。これ、普通は私か春野殿が注ぐんだよね。
 春野殿はそのお酒を豪快にぐいっと飲み干し、郁殿にお酒を注ぐ。
「どうぞ、郁殿」
 郁殿はいぶかしげに春野殿を見る。そして、お酒を飲み始めた。
 せっかく三人集まったというのに、誰も話さない。郁殿は、チビチビと注がれたお酒を飲んでいる。春野殿は郁殿の様子を窺っているようだ。そして、私はそんな二人の雰囲気に飲まれて、同じく黙ってお酒を飲む。
 この静寂を破ったのは、春野殿の笑い声。そして、ちょうど郁殿がお酒を一杯飲み終えた時。
「くすっ」
 郁殿は顔をしかめる。
「甘いわよ、郁殿」
 勝ち誇った笑みを浮かべて立ち上がり、郁殿を上から見下ろす。
「酒に何か入れたな」
 郁殿は立ち上がろうとするが、逆にバランスを崩して壁にぶつかり、そのままずるずると壁に身を任せながら倒れる。
 酒に何か入れた?
「!」
 体が痺れて動かないっ!!
「二人ともお馬鹿さんねぇ〜。一服盛るとか思わなかったの? 郁殿、自分の部屋にあるお酒なら大丈夫って思ってた? 残念ね。今日、掏り返させてもらったのよ。心配しないで、死ぬようなものじゃないから。ただ、しばらく体が動かなくなるだけよ」
「貴様は、・・何故・・平気、なん・・・だ・・」
 唇も痺れてほとんど動かなくなっているのに、郁殿は必死で声を絞り出した。
 どんな障害にも屈しない強さ、兄上は郁殿のそんなところを気に入っているのだろうか?
「ふふっ、そんなの簡単よ。解毒剤も一緒に飲んだの。さて、貴方達の宝の地図でも見させてもらいましょうか」
 『今度の側室は宝の在処を印す者です。宝を狙っているので気をつけてください』せっかく忠告してくれたのに、このままでは春野殿が宝を手に入れてしまう・・・。
 春野殿が私の背後に回る。
「郁殿、できれば目をつぶっていてね」
 抵抗したくても体が動かない。着物が擦れる音がして、私の着物が肩から滑り落ちる。
 春野殿の満足そうな顔が目に浮かぶ。
 体が動けば、殴り飛ばすのにっ。何で動かないのよっ!!
「じゃあ、次は郁殿ね」
 春野殿の嬉々とした声が耳障り。ぎゅっと目を瞑る。こんな屈辱は、初めて。
 衣の擦りあう音がする。郁殿の背中の地図も露になるのか・・・。
 勝ち誇った高らかな春野殿の声が聞こえてくると思っていた。でも、・・。
「何っ!!」
 聞こえてきたのは、驚きの声。そして、か細い郁殿の声。
「甘いのは、お前のほうっ」
 バシッ
 ガタンッ
目を開けると、頬が赤くなった郁殿が床に倒れている。春野殿は、怒りの色を露にしながら郁殿を睨む。
「貴様っ!!」
「クククッ、お前には宝を手にする資格が無い」
バシンッ
「私を愚弄するか、覚えておれ! いつか、後悔させてやるっ! お前の幸せなど壊してやるわっ!!」
 夜叉のような形相で、春野殿は出て行く。なんていうか、二人とも怖い。兄上って、こういう人たちに囲まれて暮らしているのか・・。私は今の所で暮らせて幸せなのかもしれない・・・。
 郁殿は、痺れている体を必死に動かして着物をなんとか着る。その後、私の方の着物も直してくれた。
「すいません。毒を見抜けずに殿の妹君にまで迷惑を・・」
「気に、しないで・・」
 なんとか声を絞り出し、笑う。でも、おそらく上手く笑えていないだろう。
「無理して笑わなくてもいいんですよ、まだ体が痺れているんでしょう。動けるようになるまで、ここにいていいですよ。では、私は仕事がありますので」
 郁殿は、ずりずりと足を引きずりながら壁つたいに歩きだした。
 私は、この人には敵いそうにないな・・・。


 深夜、春野殿は部屋の中に居る何者かの気配で目が覚める。そして、布団から起き上がって気配のする方を見る。
「そなたか、よく来てくれた。実はそなたに頼みがある。聞いてくれるか?」
「貴方様の為なら、何なりと」
 闇から男の声が返ってくる。
 春野殿は満足そうな笑みをこぼす。
「明後日、戦をするそうじゃ。その時、毒矢で郁殿を殺せ。できるであろう? 毒はこちらで用意する」
「かしこまりました。んっ・・」
   春野殿はその男の顔を引き寄せ、相手の唇を自分の唇で塞ぐ。
 男は、突然の事に目を丸くして春野殿を見つめる。
「頼んだぞ、雷(らい)」
 春野殿は妖艶な微笑みを向ける。雷はその微笑みを受けて赤面するが、次の瞬間にすっと真剣な顔に戻る。
「一つ尋ねてもよろしいでしょうか、春野様。郁殿は宝の在処を印す者だったはず、宝を手に入れる前に殺してもよいのですか?」
「あいつは、違うのだよ、雷。そうだ、どうせ今宵も一人っきりで暇だ。そなたにも話してやろう、今日の酒の席での事件をな。今宵はここにいて私の話を聞け、よいな」
 雷は微笑む。
「喜んで」
 話し始めた春野殿を優しい目で眺めつつ、雷の頭は明後日についてあれこれと考える。私が兄上の為なら何でもできると同じように、雷にとっての春野殿の命令も絶対のようだった。
 今宵もそれぞれの思惑を心に秘めつつ夜は更ける。


 翌朝、私は明るい日の光で目が覚める。昨日、城での出来事について色々考えていたらいつの間にか眠っていたらしい。よれよれになっている着物をを脱ぎ、用意されている新しい着物に手を通す。一息ついて外を見ると、障子に人影が映っている。しかも、見覚えが大有り。
「薫、なぜ隠れている?」
 障子の人影が動いて、顔を現す。案の定、薫だった。
「着替えをしているようなので、控えていました」
 なんか、いつもより畏まっている。
「どうしたのじゃ? いつもなら、そんなに気を使わないであろうに」
 薫は、手で黙ってくれというサインをする。私は、顔をしかめつつも言うとおりに黙る。
「姫、今日はお客様を連れて参りました。さっどうぞこちらへ、殿」
 殿ってことは、兄上!!
 私の顔の筋肉が一気にゆるむ。薫は、そんな私の変化を見てむっとした表情になるが、すでに私の意識は兄上にのみ注がれているので気が付かない。
 私の瞳に兄上の姿が映る。
「兄上!」
 私は兄上に抱きつく。
「久しぶりだな、双葉」
 兄上は微笑んだようだが、仮面を被っていて口しか見えないので、顔全体の表情はわからない。
「はいっ、お久しぶりです、兄上。ずっとお会いしたかった・・・」
 もう一回、ぎゅっと抱きつく。私の瞳の隅に、何やってんだお前、という表情の薫が映った。でも、気にしない。とりあえず、私と兄上は向き合って座った。ちなみに、薫は障子のところに寄りかかって立っている。
「私も会いたかったよ。本当は城で一緒に住めるといいのだが、危ないからね。お前は私にとって、大切な妹なのだから。でも、後少しの辛抱だ。もうすぐ宝が手に入る。後二国攻め落とせば、手に入る。そうすれば、城の1室をお前の部屋としよう。宝の存在とお前の身を守る為とはいえ、こんなみすぼらしい暮らしをさせている事を許して欲しい
 兄上が私に頭を下げる。
「兄上、どうか御顔をおあげください。私は、今の暮らしでも十分幸せですから」
 ゆっくりと兄上は顔を上げる。私は、兄上の顔が瞳に映ると、にっこり笑った。
「双葉、そなたは真に良くできた女子だな。お前を嫁にやる時、とても悲しいであろうな」
「なら、嫁になど行きません」
 兄上の口が、やさしく微笑む。
「私の我儘に付き合ってくれるか、嬉しい事だ。だが、お前は人一倍苦労しているのだから、宝が見つかった後は何にも縛られずに生きていきなさい。では、残念ながら私はもう帰らなくてはいけない。明日の戦について会議が在るのでな。では、また近いうちに会おうぞ、双葉」
 兄上は立ち上がる。私は慌てて声をかける。
「兄上、私にその事だけを告げるために来てくれたのですか?」
「うむ。あと、そなたの顔を見に来た」
「兄上、私は貴方の事が好きです。どうか、ご無事に戦を終わらせてください。吉報を心よりお待ち申しております」
 私は、深々と頭ゐ下げる。兄上の足音が消えるまで、ずっとその姿勢でいた。
 こうやって面と向かって好きって言ったのは初めてだった。
「姫ってば、ヤラシイ。実の兄に向かって熱っぽい目で好きだなんて」
 ぼそっと薫の声がする。
「ほっといてよ。好きなんだから仕方ないでしょう。兄上だけが、私の光なんだから・・・」
 薫がすっと私の正面に来る。
「・・・俺じゃあ光になれないのかよ。姫のことを一番考えているのは、俺だよ。殿が一番大切にしている人は・・」
 薫の声は本当に良く響く。
やめて!! わかっているわよ、兄上が一番大切にしている人ぐらい。でも、絶望のどん底にいた時に救ってくれたのは、兄上だったの。殿だけだったの、だから・・・」
 私の瞳に涙が溢れる。そう、わかっている、この想いがむくわれないことぐらい。痛いほど、わかっているの。
 薫は、そんな私を優しく抱きしめる。そして、耳元で囁く。
「ごめん。・・・俺、もう少し早く姫と出会いたかった・・・」
 そして、薫は逃げるように去って行った。薫は悲しそうな顔をしていた、と思う。

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