三章(儚きもの)
最近私は暇だった。でも、私が暇な時はたいてい城は忙しい。
「暇じゃー」
「姫、暇な事は良い事です」
沙乃は私の着物を畳みながら呆れ顔で言う。
「でも、私が知らない所では騒がしいのじゃ」
「どこから仕入れているんですか、そういう情報は。でも、そういえば戦があるみたいですね」
「誰も死ななければよいが・・・。戦とは、命を奪うものだからなぁ・・・」
「剣様は大丈夫ですよ、姫」
私の心の中を見透かしたような返事をする。私が兄上のこと好きだってことは、ばれ易いのかな・・・。
「そうじゃな」
何の根拠もない断言でも、言われると安心するものだな。
自然に顔が笑顔になった。
「ただ、あの忍者は知りませんけどね」
「あの忍者とは、薫のことか?」
「他にいないじゃないですか」
沙乃は急に不機嫌になった。沙乃は薫のことが嫌いだからなあ・・・。
「そう言われれば、薫は敵方の情報を探っているからなぁ。それにしても、沙乃は薫のことが嫌いじゃな」
「あたりまえです!あんな軽そうな男!!」
どきっぱりと言うなあ。
「そんなことないと思うけど・・・」
ふと、薫の悲しげな表情が頭を過ぎる。今度会ったときには、少しはやさしい言葉をかけようかな・・。
「私には、姫とあんな方が交流を続けているわけがかわかりませんっ!」
すっかり頭に血が上ったみたいだ。
熱くなった沙乃はたちが悪い、逃げるが得策だろう。
「沙乃、これから私は本読むから、黙っててね」
「姫っ!!」
沙乃の声を無視して、本を開く。
しばらくその本に目を戸尾したが、ふと胸騒ぎがして顔をあげる。
兄上が植えてくれた桜の木が目に入った。
暇は、色々な考えが頭を駆け巡るから嫌だ。
何も無ければいいけど・・・。
戦の前日の夜。兄上の部屋で郁殿と兄上が戦の打ち合わせをしていた。
「戦の作戦は、これでよろしいですか? 殿、いかがいたしました?」
郁殿が心配そうな顔で、兄上の方を見る。
「いや・・・。ああ、その作戦でよいぞ。はあ・・」
兄上は深いため息をつく。
「春野殿、でございますか?」
「なぜわかる?」
「貴方様のことで、この郁にわからぬ事などありませぬ」
ふっと柔らかく、微笑む。
「・・・泣きつかれたのだ。初夜の日の伽をお前に取られたから、せめて今日は、とな」
一瞬、昨日の事を思い出して顔をしかめたが、すぐいつもの顔に戻り、いつも通りの返事を返した。
「行けばいいではないですか。側室に夜伽を命ずるなど、当たり前。それに、戦場には女性は連れて行けないんですよ」
「・・今日は、そなたと居たいのだ」
「殿?」
兄上は静かに仮面を取る。そして、それを郁殿の手に渡す。
「明日の戦はそれを付けよ。私は別のを付ける」
「はっ、ありがたき幸せ」
郁殿は嬉しそうにその仮面を抱きしめる。それを見ている兄上の顔も微笑んでいた。
「必ず、勝利を剣様のもとへ・・・」
郁殿はそう呟くと、自分の体重を兄上に預ける。
兄上もそんな郁殿を愛しそうに包む。
こんな時がいつまでも続けばいいのに、互いに同じ事を思っているのに声には出せない。
それは叶わぬ望みだから・・・。
戦の当日。郁殿は昨日兄上にもらった仮面を付けていた。こうすると、本当に郁殿は兄上とよく似ていた。
「勝利を我が国へ」
郁殿の凛とした声が響くと、一斉に兵士達が動き始める。その頃兄上は、数人の小姓と重臣と共に本陣の奥に居た。
戦が始まりしばらく経つと、いろいろな情報が兄上の元に届けられる。しかし、そのほとんどは吉報とは言い難いものばかりであった。そして・・・
「殿!! 一大事でございます!!!」
郁殿と一緒に出陣した兵士が、息を切らしながら陣に駆け込んできた。
「何事だ。郁の身に何かあったのか?」
一番奥にゆったりと座っていた兄上が尋ねる。仮面のせいで、どういう表情かはわからない。
「郁様が・・・毒矢にて・・射られました・・・」
「何っ! 郁が毒矢に当たっただと。そんなはずはない・・。あいつは、そんな・・・」
「しかし・・・」
兄上は椅子から立ち上がって、兵士の方に歩いていく。兵士はびくっと身を振るわせる。兄上はその怯えている兵士の胸倉つかんで言う。いつもより低い声で、脅かすように・・。
「いいかげんな事を言っていると、殺すぞ」
仮面を付けた兄上の顔は、下手に睨むより迫力がある。しかし、胸倉をつかまれた兵士は怯えながらもしっかりと報告をする。
「郁様は、背中から毒矢にて射られたのです。どうやら、裏切り者がいたようです。現在、郁様はこちらに向かっております。もうそろそろこちらに着くと・・ってあっ・・」
兄上はつかんでいた手を離して、陣の入り口に向かって走り出す。
「殿!」
「剣様!」
慌てて小姓と重臣が兄上の後を追うが、陣から出たとたん兄上とぶつかった。
「剣様・・・」
小姓の一人が安堵して兄上の名前を呼ぶ。兄上は血まみれの郁殿を抱きかかえて立っていた。
「すまない、医者を呼んでくれ。それと、医者がくるまで2人っきりにしてくれ」
兄上は相手の返事も聞かずに、さっさと陣の中に入っていった。当然、みんなは兄上の言う通りに動き、陣の中は兄上と郁殿の2人っきり。
兄上の腕の中の郁殿は、ぐったりとしていた。付けてあった仮面は外されていて素顔が露になっている。赤い唇が青白くなった顔によっていっそう赤く見えて、なぜかとても妖艶な雰囲気だ。
郁殿の瞼が少し開く。
「殿?」
「ああ、私だ。今医者を呼びにやった、もう少しで来るから頑張れ」
「殿、顔を・・見せて・・くだ・・さい」
苦しそうに息をしながら、郁殿の手は兄上の仮面に触れる。そんな郁殿の仕草を見て、兄上は自ら仮面を外してやる。
「郁、これでいいか?」
郁殿は弱弱しく微笑む。そして、目をふせて、
「・・殿、すみません・・。最後まで・・、役目を・・果たせなくて・・・。すいません・・・」
「何を言っているんだ。死ぬみたいな事を言うな! 郁、しっかりしろっ!!」
郁殿はまた目を開けて、血まみれの手で兄上の頬に触れる。
「貴方様は・・、私が惚れ込んだ男。きっと・・、覇王になれる・・・。御自分を・・大切に・・・」
最後の力を振り絞って、郁殿は兄上の唇に自分の唇を重ねる。でも、微かに触れただけのフレンチキス。郁殿の瞳から、涙がこぼれる。
「さようなら・・。殿の腕の中で・・死ねること、幸せに・・思います。でも、できることなら・・・、一緒に・・いきて・・いた・・かっ・・た・・・」
郁殿は、花のような美しい微笑みを兄上に送る。兄上は、ただ郁殿を見つめ返すだけ。
「い・・く・・・」
兄上の頬に触れていた手が離れる。そして、郁殿の瞼がゆっくり閉じていく。
「郁ぅー」
郁殿の体温が徐々に失われていく。
兄上の瞳から涙が溢れてくる。
「もう、その唇は私の名を呼べぬのだな。その瞳も、私を映すことは無い・・・・。郁、お前はっ・・・。何故、何故お前が死なねばならんのだ・・・。
ボタボタと郁殿の頬に兄上の涙が落ちる。
目を開けてくれ、祈るように兄上は何度も呟いた。
医者が到着した時、兄上は郁殿を抱きかかえながら物となった郁殿に話し掛けていた。
医者や重臣達が近づいてくると、ゆっくりと顔を上げた。
「私の戦の準備をしろ」
兄上の瞳は狂気に満ちていた。
「はっはい、ただいまっ」
あたふたと小姓が走り回る。
「殿自らが戦に出るのは、まだ早っ・・・」
兄上を諌めようと重臣の一人が口を開いたが、その人の首に刀がピタリと当てられる。
それと同時に、兄上からもの凄い殺気が現れる。そう、自分の意志を阻むものは本気で殺すつもりだ。
「裏切り者が居る事を見抜けない奴等に、戦を任せておけるものかっ!! 私の命令に何か不服でもあるか?」
「いっいえ・・・」
「では、皆さがれ。私も着替えてすぐに外に出る」
「はっ!!」
皆が出て行ったのを確認して、兄上は郁殿の甲冑と着物を脱がす。
「しばらく一人にするが、我慢してくれ・・・」
優しく呟いて、自分の着物と郁殿の着物を取り替えはじめる。
その目には怒りの炎が、その背中には宝の在処を印す地図が浮かび上がっていた。