五章(怨恨)
私達は、なんとか明け方までに兄上の元に着いた。
暗くて広い部屋に、ぽつんと蝋燭の火が灯っている。まるで兄上の心の中を表しているようで胸が痛んだ。
兄上は何をするわけでもなく、蝋燭を見つめてじっとしていた。
「殿、薫でございます」
薫の声に反応して、ゆっくりとうつろな目をこちらに向ける。
「何のようだ?」
「双葉姫を連れてまいりました」
「双葉を? 入れ」
私達は部屋の仕切りを跨いで兄上の側に行った。
「兄上、お会いできて良かった」
本当は抱きつきたかったが、自分を何とか抑えて微笑むだけにした。
「ふふ、まるで今会わなければもう会えないみたいな発言だね、双葉」
普段と変わらず、穏やかな微笑みを浮かべる。もっとも、いつもは仮面を通してなので雰囲気しか伝わらないが。
「兄上、春野殿には気をつけてください。郁殿を殺したのは、あの人かもしれない」
「おやおや、物騒な事を言うね」
兄上は、ふふっと微笑するだけでその話を流した。
意外だった。もっと怒るかと思っていた。
「兄上、憎いとは思いませんか?」
「そうだね。もし、憎む事で郁が生き返るなら、丑の刻参りでもするさ。でも、生き返りはしない」
「では、許すのですか?」
兄上は私から目をそらし、蝋燭の炎を見つめる。
「許せるわけはない。でも、憎みきれない。彼らは宝の呪縛の犠牲者だから・・・。宝などなければいいと思わないかい? あんな物のせいで人生を狂わされるなんて許せない。宝よりも大切なものはいっぱいあるのに・・・」
「でも、宝があったからこそ郁殿に会えた。私は宝が無ければいいなんて思った事なんてありません」
兄上の優しい瞳が、また私に向けられる。
「ふふ、郁と同じ事を言いおる。でも、現に郁は殺された。宝に関わったばかりに・・」
兄上は目を伏せる。その瞳から一滴涙が零れおちる。
「兄上・・。でも、本当に春野殿には気を付けてください。兄上にまで何かあったら、私はどうすればいいか・・・」
薫のあきれた顔が頭を過ぎったが、今はそんなことを気にしていられない。どうしても兄上から安心する返事を聞きたい。
でも、兄上はにっこりと笑いながら言った。私の望まない答えをはっきりと。
「双葉、私は武人だよ。それに、憎しみもあるといっただろう」
「兄上!!」
「さっ、もう帰りなさい双葉。薫、双葉を頼むよ。私の大切の妹なのだから」
兄上は私の体を薫の方に向かせた。
「承知しました、殿」
「兄上! どうか命を大切にっ!!」
私は半身をひねって兄上の方を向き、心の底から叫ぶ。
でも、兄上は口元で少し微笑んだだけ。
それは、私の願いを拒んでいる証拠。兄上は春野殿に呼び出されれば行くだろう。罠だとわかっていながら、私がいくら止めても・・・。
その日の夜、案の定兄上は春野殿に呼ばれて部屋に行った。
「さっ殿、お酒でも飲んで忘れましょう」
春野殿はあえて郁殿の名前を出さずに、忘れましょう、とだけ告げる。そして、兄上にお酒を注ぐ。
兄上は、その酒を一気に飲み干す。
それを見た春野殿の顔が、一瞬微笑んだ。
「どうした? 一瞬表情が変わったぞ」
「いえ、何でもございませんわ。さあ、もう一杯どうぞ」
再びお酒を注ぐ。また、一気に飲む。
「このお酒は美味しいのう。良薬は口に苦しと言うが、では毒は美味しいのかな。どう思う、春野?」
兄上は春野殿の顔をじっと見る。
今日の兄上の顔は仮面で隠されていない。それが今日の春野殿にとって苦痛であった。
自分が殺した郁殿と同じ瞳で見つめられる。春野殿は、とても息苦しくなって深いため息をつく。
「どうした? そんなに私に見つめられるのが苦しいか?」
「いえ、そのように見つめられた事が無いので緊張しているのですわ」
「そうか。私はてっきり郁殿の事を思い出したのかと思ったぞ」
兄上は何もかも見透かしたような顔で、春野殿を見つめる。
「ふふふ、お戯れを・・・」
心の動揺を抑えて春野殿は艶やかに微笑む。
そんな春野殿を見て、兄上は最後の一撃を加える。
「自分が殺した者の瞳で見つめられるのは、どういう気持ちだ? 答えよ、春野」
兄上は、真剣な表情で春野殿の反応を見る。春野殿は自然に振舞おうとするが、かえってぎこちなくなってしまう。
「どうした? 動きがぎこちなくなっているぞ」
春野殿は、扇をばっと開く。それが合図となって、一人の男が天井かた舞い降りてくる。
「私の痺れ薬を入れた酒で痺れさせて宝の在処を印す背中を見たら、そのまま城を去ろうと思っていたのに。ばれているのならしかたがない。生かしておこうと思ったが、死んでもらうぞ、剣。雷、剣をうつぶせに押えろ!!」
雷は春野殿の命令通りに動き、兄上はうつ伏せにして押さえつけられた。
「なぜ、こんなにも宝に執着するのだ? 宝以外に欲しいものはないのか?」
兄上は、こんな状況においてもいつも通りに話す。それがいっそう春野殿の癇に障る。
「お前に殺された父のおかげで、私の頭の中は宝の事で一杯よ。宝以上のものなんて無いわ!!」
春野殿はそう言って、力任せに兄上の着物をずらして背中が見えるようにする。
兄上は全く抵抗しなかった。何も言わず、ただされるがままに。
「なぜ、抵抗しない?」
春野殿は、兄上の背中に描かれた地図を見ながら思わず呟いた。
「なぜ、抵抗しなければならないんだ? 宝を手に入れる権利は、お前にもあるはずだ」
「普通は、自分で宝を手に入れようと思うはずよ。だから抵抗するの。貴方は珍しいわ、宝に執着が無いなんてね」
春野殿は、兄上を離すように雷に指示する。
「宝よりも、手に入れたいものがある」
自由になった兄上は、春野殿の瞳を真っ直ぐ見つめてそう言いった。
「くすくす、それって郁殿のこと?」
春野殿は面白そうに笑う。
「さあな、お前には関係のない事だ」
「ふふっ、つれないお方。私達は夫婦ですのに、関係ない打なんて・・・。いろんな女や、郁殿が貴方に惹かれる訳がよくわかりますわ。何でもできるし、心が綺麗。本当に宝を手に入れるべき人は、貴方かもしれませんわね。でも、私は宝が欲しいのよ、剣様。さあ、そろそろ毒が回ってくるころかしら・・・」
部屋の蝋燭の光が、吹き消された・・・。
「うっ・・・」
薫は思わず口を押える。
当たり一面が血の海。その部屋には2人が横たわっていた。一人は顔が潰されて誰だかわからない。もう一人は、春野殿だ。
春野殿の瞼がゆっくりと持ち上がって、薫と目が合う。
「・・・双葉姫の腰巾着か。双葉姫からなんぞ頼まれたか?」
優雅は仕草で立ち上がって、薫を見上げる。
「ええ、あんたの監視をね」
薫は、さらりと問題発言をして辺りを見回す。
「ふふっ、私の監視? なぜ?」
勝ち誇った笑みを浮かべながら、春野殿は首を傾げる。
「自分の胸に訊いてみな。それより、殿をどうした? まさか、この人がそうだと言うんじゃないだろうね」
薫は脅すような口調で問いかける。
「さあね、私は何も知らない。私達は、寝ている間に何者かに襲われただけだ」
「ふざけるな!!」
薫は春野殿の胸倉をつかむ。
「ふざける? ふざけてこんな事ができるとでも?」
パシンと薫の手を払いのけ、春野殿はものすごい形相で睨み上げる。
「貴様に私の気持ちなぞわからぬ!! そう、永遠にな!!」
春野殿は懐から小刀を取り出し、すかさず薫に切りつける。
春野殿の雰囲気に圧されていた薫は、その攻撃を逃げる事ができなかった。
右腹から血が流れ出す。
「貴様・・・」
薫は刺された所を押えてうずくまる。
「いい様だわね、薫さん」
春野殿は、楽しそうに艶やかに微笑んで部屋の外にでていった。
部屋に残された薫も、ここに留まっていたら厄介な事になるので、ひとまず退散することにした。