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八章(嫉妬)
春野殿の指に込める力がいっそう強くなった。
本気で私を殺す気だ・・・。
もう駄目かもしれないと、私は目を伏せる。
「ちょっと待った! 俺はその人が殺されるとすごく困るんだ」
この声は、かおる・・か・・・・?
春野殿の手が私の首から外れる。
「さすが殿の忍びだね。いつ入ってきたのか気がつかなかった。それより、私がつけた傷の調子はどうだい?」
やっぱり、あの傷は春野殿がつけたのか・・・・。
「調子は悪いですよ。そのように貴方がしたんでしょ」
薫はにっと笑う。
「ふふっ。でも、この状況でどうやって大切な姫を助けるのかしら?」
春野殿はパチンと手を鳴らす。それが合図となって天井から黒ずくめの一人男が飛び降りてくる。
「あっ雷・・」
降りてきた人の目を見て薫が驚きの表情を表す。
「えっ」
その声に反応して雷も目を見開く。
「雷か?」
「兄さん・・・」
薫に兄弟がいたのか、初耳だ。
「久しぶりだな」
「本当に。こんなに近くにいたなんて気がつかなかった。でも、こんな形で再会するなんて残念です」
雷は短剣を抜いて構える。
「俺もだよ。でも、俺はお前とやりあう気はないから。春野殿、貴方の愛しの君の元に刺客を送りました。この意味、聡明な貴方にはわかりますよね?」
薫は春野殿に、視線を向ける。
愛しの君って誰の事?
「愛しの君ですって? やはり兄弟よのう。同じようなことを言いおるわ。誰があんな奴なんかを・・・」
春野殿の声が途切れる。迷いがあるせいだ。
「雷も言ったとしたら、確実だな。俺は別に覗きは趣味じゃなが職業上覗き見をしていて、あんたの瞳が嫉妬の色に染まっているのを見た。そう、確か・・・、戦の前日に殿と郁殿が一緒にいる時だったかな」
「嫉妬? それは憎悪の間違いであろう」
春野殿は、必死に平静をを装って答える。
「いいえ、嫉妬ですよ。郁殿に向けられた嫉妬。自分には見せてくれない顔を、郁殿の前では簡単にさらけ出す。そして、他人には見せない笑顔までも郁殿は見ることができる。名前を呼ぶ時の声でさえ・・・」
薫の喉元に雷の短剣の先が触れる。
「それ以上言わないでくれ。でないと、このまま兄さんの首を切る。確かに、兄さんの言う通り春野様は剣様に惹かれている。でも、憎んでいるのも事実なんだ。春野様の不幸の始まりの元は、剣様だから・・・」
雷の声は寂しそうだ。
「黙れ!黙れ!黙れ! 憶測で勝手な事を言うな!!」
春野殿は大声をあげる。
「春野様・・・」
雷が悲しそうに春野殿を見つめる。
「私はあの男が嫌いだ、嫌い、嫌い、きらっ・・」
春野殿の目が大きく見開かれる。
そして、私の心臓も大きく跳ね上がる。
「嫌いなんてつれない言葉を連呼するなよ、春野」
「殿・・・」
「兄上・・・」
私はまだ痺れている手足を必死に動かして這う(立ち上がるだけの力はないので)。少しでも兄上の近くに・・・。傍から見れば無様だろうが、そんな事は関係ない。ただ、兄上に触れられればいい。触れて、兄上がちゃんと生きているって確められれば、周りになんと思われたっていい。
「兄上、ご無事で何よりです・・・」
兄上の瞳に、四つん這いになった無様な自分の姿が映る。
「双葉、どうした? 大丈夫か?」
兄上の右手が、私の為に差し出される。
私は喜んで、その手に触れようと手を伸ばす。
「嫌い」
春野殿の声が耳に聞こえた。
その次の瞬間、兄上は急に手を引っ込めた。そして、さっきまで兄上の手があった場所に小刀が飛んでくる。
「嫌い、大嫌いっ!!」
春野殿の瞳は真っ直ぐ私に向けられていた。
凄い瞳の輝き。いろんな感情がぐちゃぐちゃになっていて、その全てが私に向けられる。私に注がれる・・・。
そして、残酷な微笑みを浮かべながら私に近づいてくる。
「はるの・・ど・・の・・・」
悔しいけど、春野殿の眼力のせいで上手く声が出ない。一体、何が起こったらこんな表情ができるの?
「助けてくれる人がいるっていいわね。あんなおんぼろ屋敷に住んでたって幸せよね。兄上という助けがあるから・・・。貴方なんか嫌い。穢れがなく、純粋に兄上を慕っているあんたなんか・・・」
春野殿は私を威圧する瞳で見下ろしたまま、刀を抜く。
「そんな事言うのなら、私だって貴方の事が嫌いよ。兄上の側室の貴方なんか嫌い・・・」
私も力を振り絞って言い返す。そうでもしないと、飲み込まれてしまう。この春野殿の憎悪に・・・。
「私が宝の在処を印す者だから、側室になれたのよ。それに、私は側室らしい事は何もしていないわ。側室であるのに、側室の役目はできない。しかも、男に負けただなんて・・・。所詮私の価値は、この背中の宝の地図だけなのよ・・・。貴方にはわからないでしょうね、双葉姫。この宝の地図のせいで酷い目にあって、それでも自分の価値がこの宝の地図だと思った私の気持ちが、この屈辱が・・・」
春野殿の太刀が振り下ろされる。
逃げないといけない。頭ではわかっているのに、体が動かない。まるで春野殿の呪縛にでもかかっているように・・・。
ただ、唯一口は自由に動ける。その口はなぜか薫の名を呼んでいた。
「薫っ!!」
カキンッ
金属と金属が触れ合う音と共に、私の視界に忍者の衣装を着た薫が飛び込んできた。
「怒鳴んなくったって聞こえてますよ、姫」
私に背を向けたまま、薫は優しい声で語りかけてくる。そんな薫の背中を私は見つめる。
人に守られるとは、こんなことを指すのであろうか?
カキンッ
「うっ」
薫の腹から血が滲む。
「傷が開いたか。そんな体で私と剣を交えようとするとは、阿呆としか思えぬな」
春野殿は薫に一歩近づく。本来ならば薫は一歩後ろにさがるべきである。しかし、私が居る為に刀を握りなおすしかできない。
薫は今、私を守っている。だが、私を守ることによって十分に戦えない。薫一人なら、もっと動き回って戦える。私は人の重荷になるのは嫌だ、重荷になるのであれば守ってもらいたくはない。さっき薫を呼んだのは、きっと一緒に戦う為。守られてじっとしているなんて、私の性に合わないもの。
私は何とか立ち上がる。
「今ここで死ぬにしては惜しい奴だ。いつまでもお前のそばにいて欲しいな」
兄上はやっと立った私に微笑んで、薫と春野殿の間に割って入った。
兄上の右手には、どこから持ち出したのかわからないが刀を抜いて握っている。
その姿は、兄上を守るときの郁殿を思い出させる。そして、とても綺麗だと思った。